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 今日も調子悪く、一日寝ていた。特に書くこともない。ん?なんかキーワードないかな。44歳…じゃぁ半分の22歳にしようか。

 22歳、俺は高校2年の時から始まった精神的不調を抱えながら浪人生活のようなプー生活のような半同棲生活のような、ん?結局プー生活なんだろうななにぶん、勉強をしてる間を浪人生活とするなら、俺は普通に言う四浪目の10月まで勉強なんかしていなかったんだからプー生活と言った方がいいんだろうな。

 で、ま、「大学入ってた方がプー太郎するにしてもまぁ後ろめたさが減る」という邪な考えで大学入ろうと11月受験勉強を始めた。

 高校も碌に行っていないから勉強なんてするのはほとんど初めてだった。が、独自に編み出した丸暗記勉強法で翌春大学に入るのだが。

 勿論、第一志望(W政経)に入れるはずはなく(…当日、あまりの緊張からびびってパニックになり受験せずに部屋で寝ていた。)滑り止めの二大学に受かって、でも滑り止めだからどっちの大学も眼中になくて興味もなかったのでどっちに入ればいいのかわからず友人に「「○大」と「●大」どっちいけばいいんだ?」と訊いたら「「○」に決まってるじゃないか」と言われたのでふぅん、そうなんだぁ、という間抜けな感じでその大学に入った。

 それから束の間のモラトリアムが始まった。出席をとる授業だけに出る。試験期間に入ると出回る模範解答を丸暗記して定期試験を乗り切ると言った感じでほぼ今と同じような生活をしていた。

 大学1年の時はふらふらと東武東上線に乗って下赤塚で降り、少し歩いて光が丘公園によく遊びに行った。その時に拾ったどんぐりが数日前に書いた今庭ででかくなったクヌギの木だ。

 大学2年からは彼女と同棲生活を始め家事などをちょこちょこっとやりながらプー生活を続け大学4年、就職活動中うつが悪化して玉砕。

 卒業後は法学系資格学校に通いながら生活していたが99年、30歳の時いよいようつが極限に達し意味不明な言動が増えて彼女にフラれ、暮らした部屋を出て板橋に部屋を借りた。

 03年、通っていた精神科で出された四環系抗うつ薬(ルジオミール®、テトラミド®、テシプール®)いずれを処方された時も痙攣発作・意識消失して救急搬送されることが続き実家に強制送還され現在に至る。

 実家へ戻ってきてこの地域の中核病院の精神科で2回主治医が変わり3人目の主治医の時医師不足という事でその病院を追い出され紹介状を持って現在の精神科クリニックに通っている。

 こう書いてくると、俺は高校2年の時に、既に精神疾患を患っていたのかも知れない、というか実際精神科にも連れて行かれている。その時にはまだ精神科というものに対し俺には偏見があり、「なんで俺が!?」という感じで薬にも手を出さず、そのまま放置していたが、今になって思えば当時ちゃんと治療をしておけば、現状に至らずに済んだのかも知れない。

 …といったことを俺は過去にも何度も書いている。そして今年44歳。16歳で始まった精神的不調は既に人生の半分以上の28年の付き合いになり、今日のキーワード「22歳」の倍の歳になっていた。

 う?ん…運よく66歳にはなれたとしても今の倍の88歳にはなれないだろうな。今後俺はどうやって、生きていけばいいんだろうか。遂に俺の精神疾患は遷延化してしまった。

 心を病んでいるというか、気分が晴れないとか、不登校になっている皆さん、ぜひ早いうちに精神科…という言葉が嫌いならば、神経科、心療内科を名乗っている病院もありますからそういった医療機関に行った方がいいです。さもないと、俺のようになる可能性が高いですよ。

 俺はもう、救いようがない状態に陥っている。全く何もやってないわけではないが、未来は、暗い。俺は吹雪の中、素っ裸で放置された赤ん坊と同じだ。命の火は近いうちに消え失せるだろう。もう、なんか、心の灯は消えてしまっている気がする。結局22歳というキーワードも、俺にとってなんの救いにもならなかった。元はと言えば10歳で始めたドラムと生来持っている怠け者の資質が、現在の俺を形作ってしまったのだ。多分なんのキーワードを持ってきても、それらのどこをスライスしても救いようのない俺の現状が浮かび上がってくるだけだ。もう俺は、救いようがない。救いようが、ない。(翌3時46分)