今日も恒例、精神状態が良くなく、びろーんと不貞腐れて過ごしたわけですが、皆さんごきげんいかがでしょうか。土曜日だったんですねぇすっかり曜日感覚がわかんなくなってしまいました。なんか、ゆううつですよすげぇゆううつ。なんでこんなにゆううつなのか、問題の解決の時間が、次第に尽きていくような気がして、俺はどうやって生きていけばいいのかわかんないんっす。最終的には誰にも等しく死が待っている、なんつったってヒトの致死率は100%ですから。でもその行く末が悲惨なものなら更に情けなく…。もうなんかね、生きる気力がなくなってきました。「糖尿だけど、まだ清◯よりはマシな患者かな?」なんてボトムを広げて自分を過大評価したところで、なんのメリットもない。まぁ、覚醒剤常習者でないことがせめてもの救いなんて最低すぎる。それは最低限度すぎる。
ただね、俺は当時無知なまま、リタリンという準「覚醒剤様薬物」を医師の処方によって飲んでいた。あれこそが「薬」を名乗れる化学物質だと、それほど俺には効いた。あの多幸感、万能感。今まで味わったことがないあの爽快感。いやーたまらなかったっすねぇ。
ところがその幸せも、病院を転院してから、主治医の「あれはね、人生めちゃくちゃになっちゃうよ。うちの病院では出しません」との一言で終わってしまった。幸い、依存にもならなかったし、退薬症状もなかったが、「俺の幸せもうおしまいかぁ」と、ちょっと悲しかった。
あと頼るべきはトリプタノールかアモキサンか、といったところだね。今も服用しているのはトリプタノール。俺のうつがこの程度で済んでいるのはトリプタノールの力に依るところが大きい。アモキサンはちょっとアッパーで多幸感があったりするので、多分俺は依存するだろうと警戒されてだろうか、処方されない。
…俺は果たして「治る」んだろうか。残念なことに、うつに「完治」はないらしい。「寛解」止まり、のようだ。俺も八割九割がた、諦めている。俺に幸せは来ない、と。世俗的な幸福を求めれば幸せなんてきっとこないだろうから、「幸福」を別なものに置き換えて満足感を得る、というのが宗教の役目のひとつなんだろうが、宗教を『生没儀式の様式』とだけ定義づけている俺には宗教は救いの場所ではない。救いの場所は俺にとって何処なのか何なのか、俺自身にはわからない。ひょっとしたらこの日記帳かもしれないし。
他人に今の俺の生活・思想を譲るとして「充分幸せじゃないか」という人もいると思う。だけど俺自身人生の成功者では決してない。所謂「負け組」だ。「完敗」だ。一緒に歩く人は現れず独り腐って土に還る。プロセスなんてどうでもいい。悪事をやらかしてでも幸福になる人もいる。不正手段で幸福を得る人もいる。幸福と思えることが幸福だ。俺はまっ たく自分が幸福だとは思わない。
いつでも俺に喧嘩を売ってきた人達は既に社会的地位も獲得し安定した生活を送っている。俺は誰かに呪われているとしか思えない。S君、I君は元気かい?二人で俺の悪口を言い合っているかい?楽しいだろ?俺の悪口は。S君がI君とつるむようになってから、君の嫌な部分が俺の心のなかで増幅したよ。いつでも高みの見物、いつでも傍観者。「ここだけの話」が出来ない。話はいつも筒抜けだ。いつもそうだ。もういい頼まない。K君?あの人なんか論外だ!
結構多いんだよね、『アンチ豆々』。ネット界でも、実世界でも。敵が。もう、俺は同窓生とは仲良く出来ない。小中高の関係は切ったし、大学なんて友達作んなかったし。結局集団教育課程はいい思い出なんかぜんっぜんない!知人ならいるけどね。その程度だ。これを見てる俺を友人だと思っている同窓生何か書いてみろ!いねぇだろ?!俺の被害妄想?どうだかね。
知るか全く…。
今日のアド街ック天国は銚子。いつもの景色がたくさん映っていた。鹿嶋の時より伝え方に悪意がなかった。努めて活気があるように映していたが通りを一本入ると閑散としたシャッター街があるのだ。一位が銚子漁港…それくらいしかないもんな。それしかないもんな。明日銚子はやや人出が多いかもしれない。市西部は全く触れられていなかったよね。なんにもないもんな。仕方がないか。明日は銚子方面はやめとこう。潮来・鹿嶋・香取・稲敷方面ってとこだな。山羊を見にも行きたいし。
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精神状態非常に悪い。22時40分。殺したいとかそういうことはないけれど、もう近づいてくるな俺に触れるなとは言いたい。
精神状態非常に悪い。