なんか6年6か月彼女と一緒に暮らしていた時の日記というか走り書きの一部と思われる紙切れが出てきた。それにはこのように書いてある。
『毎日一人でいてさびしい。話す人もいない。全然話し足りない。
二人の時間が少ないから、よりその時間を長く持ちたくて、休みの日にはトイレに行かなくて済むように、そして、トイレに行く日にも、二人でいられる時間をそれに使わないように、帰宅前に済ませるようにし…こんなに努力しても、平日に話せるのは少しばかりで、休日は休日で出掛けずにいると不機嫌になるのが判るので「出かけなければ…」という強迫観念ばかり。なんとか期待に応えようという気持ちで、いつも切羽詰った気分だ。
何の気分転換もできず、毎日楽しくない。幸せなのは眠っている時と食べている時だけ。
少ない二人の時間を少しでも無駄にしたくないばかりに、その時間を作らなければ、という強迫観念にいつも怯えている気がする。
その割に自分の欲求は「少なくとも妥協できる程度」にも満たされない。
毎日が、「気分転換のための二人の時間を作るための努力」と、「努力が報われないための失望」と、「欲求不満のためのいらいら」の繰り返し。相手は別に二人の世界だけで生きてるわけではないけれど自分は完全に二人だけの世界でしか生きていない。だから相手は満足でも自分にとっては全然話し足りないし、時間も全然足りない。
外に世界を求めようにも自分は昔の経験が元で完全に他人に対して信用を失い、また、今の人たちの言動を見ていると、自分とは決して相容れないし、話したり付き合ったりしたいとも思えない人が多い。それらに目をつぶって一歩を踏み出せることができるくらいならとうの昔にやっているし、そもそもそのような性格なら今の状態にも陥っていないだろう。
浪人中も、嵩む電話料金を目の当たりにして、「結局自分ばかりかけているのだ」という事実を突き付けられ、落ち込むことばかりだった。何度か、プッシュボタンの部分にガムテープで封印し、その事実を確かめたことがあるが、結局確信を深める結果となり、3ヶ月ほど誰とも話さなかった事もある。「3ヶ月」なのは、「3ヶ月経って着信があった」わけではなく、我慢できなくなって結局実家に掛けてしまった為に3ヶ月で無言が中断しただけの話である。数回の挑戦いずれも、自分で実家に掛けてしまったことが中断の理由である。
自分から掛ければ話す人がいないわけではない。けれど、進んで電話をかけてくれる人はいない。裏返せば、「実は自分からの電話を嫌がっているか、少なくとも快く思ってはいない」事になる。百歩譲っても、自分は、「電話を掛けてまでしゃべりたい人間ではない」としか考えられない。毎日その事実と向き合わざるを得ず、その度に不愉快になる。』
二人でいた頃から結構孤独だった様子が窺える。よく、誰かの言葉で「孤独に耐えられないなら結婚はするな」という。それを地で行く感じだ。俺は、相手に忠実なあまり、異性との交際が始まると異性・同性の友人との連絡を絶ってしまう癖がある。で、結局孤独になる。今考えれば、そんなにストイックにならなくてもよかったんではないかと思うが、俺は、家電(いえでん)に電話すればいつでも出る、いつ帰ってきても独りで待ってる、「超アリバイ男」になりたかったのだ。独り待っていた時間を友人との交流で埋める、そういう発想がなかったのだ。偏った潔癖症、とでもいうのだろうか。俺は「理想の彼氏」を演じるあまり、疲れてしまった。今思い出したよ、当時も孤独だったなぁ、と。二人でいたはずなのに変だな。俺もよく6年6か月も我慢してたよなぁ、えらいよ。よく頑張った。この文章が書いてある切れ端を見つけたのは、二人でいれば孤独から解放されるというものではないというお告げかもしれない。孤独に耐えよと、一人遊びが上手くなりなさいと、そういうお告げなのかもしれない。多分俺は無理だろうなぁ…。(4時43分)