8時30分、サインバルタ®20mgカプセル3カプセル、ルボックス®50mg錠2錠、エビリファイ®3mg錠2錠、レボトミン®5mg錠1錠、ローコール®20mg錠1錠、イリボー®5μg錠1錠を服用。12時55分、ルボックス®50mg錠2錠、レボトミン®5mg錠1錠を服用。22時48分現在、夕食後の薬、寝る前の薬はまだ飲んでいない。最近、ロヒプノール®が急に効くようになった。だから早いうちに飲んでしまうと、日記を書き終える前に眠くなってしまうので今日はとりあえず飲むのを遅らせている。
俺はおそらく生涯独り身だろう。もう彼女も嫁さんも要らない。寂しくないといったら嘘になるけれど、しょうがない。俺は自分一人の食べ物さえ自分で買えない身分だ。誰かを養うなんて出来っこない。だから俺は、独りで生きる術を、学ばなければならない。寂しい時どうしたらいいか、悲しい時どうしたらいいか、苦しい時どうしたらいいか、退屈な時どうしたらいいか、独りで生きる術を、学ばなければならない。嬉しいとか楽しいとか、そういうことは今後の人生、ありそうもないから。ネガティブな感情を、どのようにマネージすればいいかを、学ばなければならない。同情するなら、カネをくれ。
ある夏の土曜日、俺は独りで、パソコンカチャカチャやりながら、自分の行く末を案じている。俺は誰にも看取られずに、独り、最後の呼吸を終えるのだろう。心臓の拍動が止まっても、心電図のアラームがなることもなく、この畳の上で、腐っていくのだろう。ハエがたかり、ウジが湧いて、悪臭を放ちながら、腐っていくのだろう。でもこれは、俺が両親や妹より長生きした場合の話だ。それまで生きているなんて確証はどこにもない。俺の体内に、悪性の新生物が育ったとしても、それを抱えて、俺は生きていこう。余命があとわずかしかないなら、それならそれでいい。切った貼ったはやめてくれ。カネがないんだ。
この数日、命というものが限りあるものだという事を思い知らされる出来事が続いた。97年11月に愛犬の「ペン」が天に召された時、俺は夜通し、亡骸のそばで泣いたっけ。「俺より先に逝くなって言ったじゃないか」と。そんなこと、不可能なのにね。11歳6ヶ月、俺、28歳の時。母から、東京の部屋に電話。「ペンちゃん、もうダメみたい。覚悟していてね」という電話の約1時間後、「亡くなったから…」俺は反射的に準備をし、東京駅八重洲南口の高速バスのりばに向かった。バスの中、放心状態で鹿島セントラルホテルに着いたのも迎えのクルマに乗ったのも覚えていない。ペンが横たわっている側に線香と花が手向けてあった。部屋に家族がいるうちは気丈に振舞っていた俺も、夜中、一人残されると、喉から声を絞りだすように、嗚咽した。ペンの死から17年、半年先か、3年先か、俺にはわからないが、俺も確実に、死に向かっている。
俺が死んだら、誰か、泣いてくれるだろうか。家族以外にそんな人はいないだろうな。自業自得。俺には人徳がない。嫌われてもいいと思って生きてきたから。俺を嫌っている人たち、昔なら敵だ、と、棘を出しまくっていたけれど、命の期限を切られた今となっては、別に、俺の人生には取るに足らない存在だと感じるようになった。俺を救えるのは俺自身だけ。俺に必要なのは家族だけ。そう思って生きられるようになれているし、今後も、そう考えられることで自分を楽にすることができたらいいなと思う。
さて、翌1時8分、そろそろクスリを飲みましょうか。(翌1時8分)