BSD、Linux、30種ほど入ったHDD(2TB)の内容を誤って全て消去してしまった(T_T)最初からやり直し。BSDとか、普段あまり使わないのでシステムのマルチブートは難しい。チェインロードなんだが、GPTフォーマットだとGrubが読み込めないのでMBRでフォーマット。スライスが入れ子形式でそのパーティショニングに多少癖があるので、難しい、というかめんどくさい。
まぁ、2段階ブートが便利で理にかなっているというのがもの凄くよくわかる。もの凄くよくわかるんだが、俺は意地でも1段階ブートにこだわる。パズルとかゲームみたいな感じで、ちょっとしたお遊びなので、例えば後ろは配線でぐちゃぐちゃだけど、表に回ればよく見えるTV、みたいな感じ。中身は不純物だらけだが敢えて俺好みのインターフェイスに仕上げる。
どうも俺は論理的・合理的なものを嫌う傾向があるようだ。うん、大っ嫌いね。元々嫌いなのもあるし、集団教育課程とその周辺で経験したことが「嫌い」な要因になる。論理・合理主義者は俺のような感覚・感情的な言動をバカにするし否定するが、まぁそれは構わないが(別に彼ら彼女らに気に入られることを人生の目的・目標にして生きているわけではないので)、まぁ、それも一方をこき下ろさなければ他方を評価することができないような人には気に入られたくもない。何故って「気に食わない」からだ。こういうのを嫌うね彼ら彼女らは。
そして彼ら彼女らは、自分たちの誹謗中傷の言葉が俺をずたずたに切り刻むことを期待してそういう行為に及んでいるのだ。残念ながらそうはいかないんだよね。そうはいかない。憎しみってのは、たぶん愛情以上に、人生での方向を決定づけるものがある。まぁ、こう言っちゃなんだが、俺は人生の90%以上、怒り・憎しみを言動の動機付けにして生きている。愛情なんて全く無いか、あったとしてそれは微々たるものだ。例の楽器だってKくんに対するライバル心が次第に不快感・憎悪になり、それを動機付けにしてやっていたようなところがある。
まぁ今は、あの例の楽器なんてどうでも良くなって、Kくんに対しては不快感・憎悪だけが残っている。まぁ、元々相容れない道にいたんだKくんと俺は。向こうだってきっとそう思っているはず。会いたくないからSくんの結婚式にも来なかった、そういうことだろう。彼は俺が大学に行くなんて思っていなかっただろう。高校出て、手に職もなく、底辺のどん底まで落ちるのを待ちわびていたに違いない。そして今俺は、彼が望む「底辺のどん底」まで落ちているんだ。どうだ満足か!(23時47分)