合計  今日  昨日  現在名様ご来訪です。 神栖市 神栖市
  • 2018年07月登録記事

 七夕。今日は七夕とわかってはいたのだが、特に家人にそのことを言わなかったからか、なにもなく過ぎていきつつある7月7日 土曜日の曇りの日。年中行事が次第に廃れつつある。まぁ正月は辛うじて残っているが、七夕とか秋の十五夜とか、なんか先細りの感あり。


 夏と言えば風鈴も風物のひとつ。まだ東京にいた時、95年くらいだったか、南部鉄器の風鈴をベランダに吊るしたら、「うるさいからしまって!」と言われ、「あぁ、この人とは価値観合わないんだなぁ」と思い、それからはなんか、多分俺は相手を思いやる気持ちが失せたような気がする。
 最後の方は週末のたびに喧嘩して、俺も俺なりの堪忍袋の緒が切れて壁ぶん殴ってハイ終わり、という感じ。結局喧嘩別れ。
 相手もこの心の病を、理解しようと、精神科に電話して俺が一体どうなってるのか訊いてくれようとした。しかし、「肉親でない人には患者本人の承諾がないと教えられません」みたいなことを言われ、知ることができなかったという。俺は言ってもらって全然構わなかったんだがちょっとした行き違いがあった。
 相手としてもこのまま年月が過ぎゆくのに不安があっただろう。それだったらこんな毎週末喧嘩して、先が見えない二人の関係を清算しようとしたのもいたしかたない。30歳が近づき、先が見える、すぐにでも結婚が確約できる人のところに行くのも当然だろう。相手にとって俺と別れて別な人のところに行くのが一番いい。俺にとっても実は、俺の病の特性を理解していない(「故意に理解しない」ということではない)人といるよりは、家族の元に戻って精神状態を少しでも良好に保ち、それが持続できるようになってからでないと、きっとなにか困難にぶち当たった時に生きていくことができなくなる。きっと自殺する。結果的に自殺した場合にも、相手を面倒くさいことに巻き込まずに済むだろう。まぁ、相手はいい気持ちはしないだろうが、それで人生破滅するわけでもない。「あぁ、死んだのね」で済む話だ。


 ひよりが早帰りだったので、今日も逆水門を通り、旭、銚子を回ってR124を帰ってきた。今の俺には、やはり助手席が相応しい。なにも考えず、楽。


 明日は日曜日か。昨日一昨日辺りから中国・近畿・東海地方の辺りに梅雨前線がかかり、大雨続きで土砂災害・河川氾濫などがあちこちで起き、被害が拡大している。なんだろうね。ここにも全く雨雲がかからない訳ではないので、少しぱらつく程度には雨が降るんだが、大した事ない。曇天だが日常生活には「今のところ」支障はない。中国・近畿・東海地方はきっと明日も雨が降り続く。これ以上被害者が増えない事を祈る。
 京都の大雨特別警報が解除。岐阜のみ継続。(23:20)


 23時23分。兄さん兄さん。…はぁ…

 20時23分、千葉県東方沖を震源とする最大震度5弱、M6.0の地震が発生。その後も震度1が数回。止まないねぇ。


 もう24時になる。なにして過ごそう。 あぁ…ゆううつだ…。(24:02)

 今日はひよりが休み。稲敷・佐原→行方・かすみがうら市方面にドライブに行った。ちょっと眠かったが、精神的にすごく助かった。ありがたい。


 九州-中国地方で大雨。大雨特別警報が出ている。関東地方も梅雨前線の南下でまた雨が降っている。関東甲信地方では既に『梅雨が明けたとみられる』宣言が出ているが、『撤回』ということになりはしないか、危惧というより、興味を持って事態の推移を見ているところだ。


 今日、麻原彰晃こと松本智津夫を含む信者死刑囚ら7人が死刑執行された。あれは1995年3月20日の話。地下鉄サリン事件(正式件名『地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件』)発生。なんか、テレビを見たらすごいことになっていて、同年の『阪神・淡路大震災』の傷口もまだまだ乾かない時期に(それを狙ったという説もある)、また衝撃的な惨状を見ることになってしまった。就職活動諸々の不調もあり、高校生の時発症し当時までは寛解していた精神の病が再燃した時期と重なる。あれから24年、俺の時間は止まったまま。テロ被害者の心には多分節目とはならないかもしれないが浅い擦り傷くらいにはなっただろうか。真実が語られないままもうそれも絶望的になってしまった。ただ、あの人は、自然に死ぬまで何も語らないだろうというのは薄々感じていたが、塵一つくらいはあったかもしれない可能性はこれによって永久に断たれてしまったことになる。サリン事件から数ヶ月して、俺は再び、精神科の敷居を跨いだ。以降今日まで、いつ終わるとも知らぬ治療が続いている。


 タイの洞窟の件、救助作業をしていたダイバーが死亡した。なんでそもそも子供らとコーチがそんな洞窟に入ったのかわからん。登山とかする人もそうだけど、なんでもしトラブった時に他の人の命を賭けさせるようなことをするのだろう。大迷惑だよね。「冷たい人」と言われるだろうけれど、ダイバーの命はどうなるの?


 フランスで『肉屋が襲撃された 菜食主義者の犯行か』というニュース。もし菜食主義者の犯行が事実だったら、自分たちは「食べるために動物を殺すのは許さない」みたいなこと言って、じゃぁ「自分の主義(趣味ともいう?)主張の為ならそれに反する人を殺してもいい」ってことか。倒錯してるな。


 ネットで、「YMO」「確執」でググったら結構出てきた。教授と細野さんの間での確執があって幸宏さんがその間に割って入ってその確執を取りなしていたらしい。大変だね。まぁ、バンドってのは確執が起こりがちで中学の時に3人でバンドやった時も確執はあったもんな。こと、同じ楽器を担当していた人間が交代でベースやったりドラムやったりって感じになると、既に先輩のバンドでドラムやってライブハウスで演ってたK君が俺らのバンドでもメインになってドラムの美味しいところ全部持っていっちゃうような状態になって、面白くなくて文句を言う俺とK君には確執があったし、一方間を取りなすような顔をして俺の前では「K君が豆々の悪口言ってるぞ」と、K君の前ではその逆「豆々がK君の悪口言っているぞ」と言っていたS君、「誰も信頼できない。なんだこいつら」と、孤立感を深めていった。33年とか34年とかたった今でも、未だにK君とは和解できていない。もう二度と会うこともないだろうし。S君とは年賀状のやり取りくらいはしているけど、もう会うこともないだろうね。もうバンド関係は、俺の黒歴史だ。


 今日の精神状態、ドライブ中は何とか持ったが、うち帰って来て眠かったから寝て起きたら悪化していた。俺は昔から、寝て起きるとどこかが具合悪い、といったことが多かった。「睡眠が怖い」のだ。睡眠中に具合悪くなるのがなくなるか、睡眠から永久に目覚めないかどっちかにしてくれ。


 あぁもう23時50分。今日も終わりだ。また明日一日、死にたいけれど現状を受け入れて生きるしかないのかな。とため息またひとつ。(23:53)

 日が明けて、1時。木曜日。


 毛の生えた無闇に脚の長いクモが
 わさわさと這いずり回っている
 不快なので殺虫剤を噴霧した
 どっかに行った
 多分今頃はどこかの隙間で
 丸くなって
 死んでいるのだろう

 毛の生えた無闇に脚の長いクモは
 その脚が長いこと
 そのみてくれが気味悪いこと
 その二点のみによって
 殺虫剤を噴霧され 殺されたのだ
 不条理

 人間は 
 しばしば不条理に
 生物(人間を含む)を殺す
 「ムカついた」からと
 生物(人間を含む)を殺す

 今日 私は
 牛の死体の一部を炊いたコメに載せた
 牛丼 という食べ物を食べた
 気の毒ではあるが 旨い
 延々と繰り返されてきた屠畜という仕事
 辞書にも載っていない仕事
 少なくとも
 『新選国語辞典』(小学館)には
 載っていない

 説明が残酷なので載せなかったのか
 職業の呼称が差別的であるとか
 なんかわからんが
 何らかの理由で
 載っていない(Wikiには載っていた。)

 めんどくさ


 あんなにハマっていた、Linuxへの情熱が冷めきってしまったようだ。
なにもかもが面倒で、もう寝よう。(1:56)
 

 

 んー。日を跨いでしまったので4日付の日記にしてあるけど、少なくとも冒頭部分は3日に書いたもの。


 あぁー。つらいぃ。しんどいぃ。

 父と母は、昨夜、というか今朝からサッカーの中継をテレビで観ていて寝不足のようで、眠そうな顔をしている。母は常に眠い人なので、今日は余計に眠そう。食事の準備と掃除以外はほとんどソファで寝ている。ドライブも道中かなりの確率で眠っている。なんでそんなに眠いのかちょっとわからない。

 アイスコーヒーかアイスティーか淹れたら起きるかな。

 なんとも精神状態が悪い火曜日の午後。あー。辛い。(15:02)


 いやー、精神状態悪いー。

 いやぁ梅雨明け早々暑いやね~。公共の前で汗をかくっつぅ、周囲の人たちに結構申し訳なく思ってることがあって、でもそういう心配がなければ、炎天下、半分熱中症になりながら、意識が半分なくなりながら、焼け付いた、しかも熱でどろどろになってるアスファルトからの輻射熱で、ふらふらになりながら歩くのがものすごく好きだったりする。

 いつだったか東池袋から板橋までそういう陽気の時に歩いた記憶がある。都会の裏側の、築40年いってそうな古いお宅の庭にひまわりが咲いている。顔中汗だくになりながらも、いつも眉間にシワが寄りがちな俺の表情が緩んでにこやかになっていることに気づく。東池袋から板橋なんて、池袋の駅からは埼京線で隣の駅の板橋駅まで3分、東武東上線の下板橋までは約5分の大したことない距離だが、歩くととても遠く思えるという性質が東京の街にはある。そういうのがとても好きである。

 ここでもやろうとすればできないことはない。土合小学校方面に進んで土合を通り抜け、更に「上中」の交差点を直進、「利根かもめ大橋」を銚子側のR356の交差点まで渡ってUターンするコース。大した距離じゃぁないが、炎天下の中歩けば「熱中症ハイ」になれるかもしれない。背中に折りたたみの小さい椅子、手にはスポーツドリンクを持って歩く。
 俺ははっきり言って『空が青いぞ嬉しいな』な人間だ。ただ、ビーチではしゃぐ感じではない。そうか、工事現場の交通整理でも良いのかもしれない。それがいいや。なんか知らんが炎天下大好き人間。


 昔…俺が小学生の頃は、俺のうちの回りは住宅は点々とあるくらいで、大部分を占める草原にはキリギリスの声が響いていた。その中で俺は虫取り網振り回してたんだが、そんな牧歌的な景色も今は昔。空き地がことごとく埋まって、住宅密集地になっている。

 この辺りに家を建てたのはここらへんではうちが一番最初。次、隣の家が、って感じだが、以降、長らくここは、草原が大部分を占めている土地だった。だが急速に宅地化が進んだのは3.11以降だ。津波もなかったし、液状化も起きなかった。多分、井戸水を使う世帯が多いから、地下水位が低かった、というだけの話かもしれない。

 が、『安全神話』と『福祉関係がしっかりしている』というだけの危うい理由で隣町(…多くは銚子市民だろう…)の世帯が土合に越してきたのだ。まぁ、クルマがあれば特別やたらに不便、ということもない。今時分、地元で買えないものはネット通販があるし、東京に行きたければ高速バスで2時間弱で行ける。ちょっとした買い物なら、無計画にも銚子に作ってしまった『イオンモール銚子』に行けるし、反対方向なら鹿嶋のチェリオがある。神栖市内だったら大きめのスーパーマーケットもあるし、「とんでもねぇ僻地」という訳ではない。ウチがここにこしてきた当時は、ホントなんにもなかったが、当時は銚子が栄えていたので大きめの『十字屋』百貨店があったし、『銚子銀座』なる商店街もあったので何も不足はなかった。

 しかし、90年代を境に十字屋は潰れ、ちょっとしたファッションビル『シティオ』も潰れ、その後、『十字屋』跡地のデパート出店計画もリーマンショック以降の急激な不況によりテナントも集まらずに白紙に戻り、『シティオ』跡地はパチンコ屋になり、以降、『銚子銀座』商店街はまたたく間にシャッター街と化し、現在に至る。


 神栖市土合地区は一度は商店街構築計画があったが、出店者が全くなく、頓挫。現在その通りは住宅地になっている。ここはきっと、住宅地以外になりようがないんだと思う。商店街には不向きな土地柄なんだと思うね。

 そしてその中心に公共施設――神栖市役所矢田部出張所、女性・子どもセンター、はさき福祉センター、矢田部公民館がある。矢田部公民館にはいつだったか『聖飢魔Ⅱ』がきた。『バブルガム』も来た。結構渋め(笑)。そして俺は中学の時、何回か彼らが立った同じステージでドラム叩いた。あれは34年前か…はるか昔…。ちゃんとステージ裏には大きな機材搬入口があり、テレビ中継用のコネクターも付いている。(…さぁ…地デジに切り替わって、中継機材のコネクターの形状も変わっていたら無駄なんだけどね。) 


 ひよりさんは今日は好天で忙しいだろう、帰りもきっと遅いんだろうな。只今19時56分、俺はこれから、さんざん先延ばしになっているUNIX(LINUX)の作業をやろうと思う。『FreeBSD11.2』もリリースされたし、『LinuxMint19』もリリースされた。

 ここんとこちょっと疲れ気味で無理が効かなくなった。歳だろうか…。40代最後の年、俺はこの一年、どう過ごせばいいんだろうね?わかんねぇ。(20時08分)

 今日は山武郡芝山町の道の駅『風和里しばやま』に行ってきた。カメの水槽に入れるホテイアオイを買おうと思って行ったわけだが、ホテイアオイを作っていたおじさんが亡くなってしまい、其後、奥さんが一生懸命がんばって栽培・養殖していたのだが、もう限界、ということでホテイアオイの栽培をやめてしまったらしい。また別のところを探さなければ…。
 それにしても『風和里しばやま』のソフトクリームは美味い。

 なんか、だるいな。疲れてる。寝る。